必要性を感じたらチャンス!短期で英語を習得しよう
ここ1年ほどで英語の重要性、いや必要性が格段に増したと思うのは僕だけでしょうか?もちろん、英語はあくまで言語でありツールですから、絶対ということはありません。しかし、どんな分野でもある程度幅を広げて行ったら絶対に英語にぶち当たると思うんですね。これは芸能人の記事を書き始めてさらに確信しました。家庭的な面で英語を習得した人は別ですが、大人になってから英語を勉強し直して身につけた人たちを見ているとやはり仕事の幅が広がっていますし、本業で行っていたことにも磨きがかかっている人が多いんです。英語ができるようになるということはその分、思考や視点が絶対的に変わりますしそれでいてマイナス面がありません。そりゃ成長するだろうって話なのですが、、、何はともあれ日頃の生活の中で英語の必要性を感じたらチャンスだと思って「短期間で」思いっきり英語を勉強していみるべきだと思います。さてさて、本日紹介するのはEXILEの古株、MAKIDAIさんこと眞木大輔さんです。EXILEのメンバーは見た目からして、みんな英語ができそうな感じはしますけど、とりあえず順番ということでまずは眞木大輔さんを紹介します。
EXILE MAKIDAIのプロフィール
EXILEのMAKIDAIこと眞木大輔さんは1975年の10月27日生まれの現在37歳です。EXILEのパーフォーマーとして活動するMAKIDAIさんはEXILEの中でもかなりの古株。EXILEの前身である「J Soul Brothers」に1999年に加入してからずっとEXILEメンバーの良き兄貴としてチームを支えています。中学1年生までは横浜市立西本郷中学校に在籍し大好きな野球に没頭していました。そして2年生に進学するタイミングで父の仕事の関係で川崎市立宮前平中学校に転校しています。以下に当時の美談を記しますのでお楽しみに。そして中学3年生の時に文化祭をキッカケにダンスに目覚めます。その時「アンダーグラウンド・ストリート・キッズ」というグループを組んで駅前で踊っていたそうです。高校に進学してからはその行動にもさらに拍車がかかり、クラブやディスコに出入りするようになった。高校生でもクラブとか入れるんですね。そこから大学に進学したり、ダンスのスキルを磨くために留学したりとダンス街道まっしぐらです。現在では、本名の眞木大輔として俳優としても有名ですし、DJやラッパーとしても活動しております。2005年4月から2009年12月にはOH! MY RADIOでラジオパーソナリティーも勤めていました。相当な人気があったようで、海外での活動がある日でも欠かさず生放送でお届けしていたようです。あ、身長は180cmです。デカいですがEXILEの中だと平均的ですね。また黒人への憧れも強いらしく、ライブの前など大事な時には必ず日サロで肌を黒くして気合いを入れるらしいです。
初志貫徹!学生時代に眞木大輔の全てがあった。
眞木大輔さんはなかなか勉強の方も頑張っていたようで、出身高校は落語家の立川談志さんなども通っていたことで有名な東京高等学校です。現在では偏差値54くらいの平均的な学校ですが、かつてはもう少しレベルが高かったようです。さて高校在学中はダンスに明け暮れていたにもかかわらず、大学は現役で神奈川大学に進学しています。経済学部貿易学科だったそうですが、ダンスの道を究めるために2年生で中退しています。その後、1996年にはダンスの修行ということでニューヨークへ1年間ほど留学しています。その時に語学学校にも通い英語を習得したそうですね。当時の気持ちを眞木大輔さんはこう語ります。「もっと広い世界が見たい、本場のダンスを習得したい」。また好きな本は村上龍さんの「ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界2」。留学前に父親から頂いたのだとか。そんな眞木大輔さんのルーツは全て学生時代にありました。小学生の時は分からない問題があれば躊躇無く手を挙げるような活発な性格だったようで、それは今も変わらないと。なんでも興味を持ったものにはとことん首を突っ込む。そしてダンスに目覚めるキッカケとなったのは、15歳の時。上に文化祭の記述もありますが、本格的にダンスの道へ進もうと思ったキッカケは実は卒業式。全校生徒の前でダンスを披露すると、体育館が揺れるほど周りが興奮してくれたのをキッカケにどんどんのめり込んで行ったようです。また「ラップブラザーズ」という名前でコントをしてみたり、自作自演の映画を撮って披露したりと全て現在の仕事に関係していることを学生時代に行っていたことがわかります。一つのことを極めてその全てをプロと言われるレベルまで持っていくところに眞木大輔さんの凄みを感じます。
模範的、眞木大輔の留学記
眞木大輔さんの英語力なのですが、情報が少なく確実なことはわかりませんでした。しかし、いくつかエピソードがありましたので記載します。まず、EXILEの海外公演(?)での英語でのインタビューにMAKIDAIさんはしっかりと英語で応答していたという話があります。その場にボーカルのATSUSHIさんやパフォーマーのAKIRAさんもいらしたようですが、ATUSHIさんも英語で答えていたといいますから気になりますね。またこれは留学中の話ですが、眞木大輔さんは性格的にあまり物怖じすることがないらしくなんでもチャレンジする方なのだそう。そして一人でいるのも得意な方で、「僕はNYの満員の映画館でもいちばん前の席で1人で映画見たりするのも平気でしたし。」なんてコメントもありました。もちろん、DJやラッパーとしても活動している面もありますので、NYのクラブには毎晩のように通っていたらしいです。クラブなどではダンスやDJという武器がありますが、EXILEのメンバーの中でも人一倍喋るMAKIDAIさんは恐らく結局的に外国人の方とコミュニケーションを取っていたのではと考えられます。もし、そうであれば1年も海外にいますので日本人からすれば「英語ペラペラ」と言われるくらいの英語力は身につけているでしょう。
話題の「町医者ジャンボ!!」に見る眞木大輔の素顔とは?
眞木大輔さんが俳優業を本格的に始めたのは2004年。ドラマ「ホットマン2」の出演で俳優デビューしています。実はダンスよりも前に将来は俳優になりたいという夢を持っていた眞木大輔さん。J Soul Brothersに入る際にHIROさんに「僕はダンス以外にもやりたいことがある」といろいろ相談していたようです。念願叶って俳優になった眞木大輔さんですが、世間の声はなかなか厳しいようです。現在木曜夜11:58からやっているドラマ「町医者ジャンボ!!」で主演を果たしているのですが、「台詞が棒読みだ」と視聴者からは言われています。なぜかそれがキッカケで視聴率は上がっているそうなのですが、、、。しかし、EXILEを率いるHIROさんが社長を務めるLDHの俳優陣に昔から演技指導を行っていた塩屋俊監督の評価は少し違います。
「元々、MAKIDAIの持っているものは、素朴だと思う」
塩屋俊監督はそう語ります。眞木大輔さんが俳優を始めてからずっと面倒を見てきた塩屋俊監督の視点はやはり世間とは違いますね。これまで書いた性格を見ても「素朴さ」というキーワードは出てきにくいです。そしてEXILEリーダーのHIROさんも、演技を始めてからMAKIDAIの存在感が強くなりカッコよくなったとおっしゃっています。ちなみに、俳優としての眞木大輔をEXILEでのMAKIDAIには絶対に持ち込まないようです。プロですね。「町医者ジャンボ!!」の役所は本人の性格とは全く違う部分もありかなり苦労しているそう。しかし、ドラマや映画の監督の間では眞木大輔さんやAKIRAさんなどEXILEメンバーの演技にかなり注目している方も多いようですので、これからも楽しみですね。
ハマったものは徹底的に掘り下げるダンサーらしいDJプレイ
MAKIDAIさんの活動の幅が広すぎて書くことが多くなってしまうのですがもう少しお付き合いを。次はDJ MAKIDAIとしての話です。DJやラッパーとしても活動しているMAKIDAIさんですが、ぽっと出というわけでは全くなく音楽に関するルーツも学生時代にありました。DJを始めたのは高校一年生の時。ダンススタジオの仲間とグループを組んで披露する際の音楽は全てMAKIDAIさんが一人でミックスした曲を使っていたそうです。「自分の好きな音で踊りたい」っていう気持ちが強かった、MAKIDAIさんはそう語ります。DJの勉強も中途半端にやっていたわけではなく、18歳で初めてNYに行った時に大御所のファンクマスタ―・フレックスのラジオ番組のテープを買って研究したり、実際にNYのクラブでプレイしてみて現場の盛り上がりを体感したりすることで実力を付けていったと言います。ご自身がダンサーとして大成しているのもDJにはやはり活かされていて、プロダンサーとしてノリやすい音楽を選曲することで聞いている人が思わず踊り出したくなるような音楽を作れるとか。音楽の知識もかなり広く深い。一曲一曲を良く知ることがとても大事だというMAKIDAIさんは料理と同じような感覚で曲をミックスしているようです。
野球少年・眞木大輔の心温まるエピソード
中学時代は地元でも有数の強豪校で野球に打ち込んでいたという眞木大輔さん。しかし、父の仕事の都合で転校することになった。当時13歳。転校までの数ヶ月間、それまで以上に厳しい練習を課した監督が最後の日にかけてくれた言葉があったそうです。
真木大輔さんは小学校1年生の頃から野球が大好きだったようで、地元の幼馴染みとずっと野球をやっていました。中学で入った野球部の監督は選手達を全国大会に何度も連れて行った経歴の持ち主で地元でも有名な監督だった。見た目はパンチパーマで怖かったという。眞木大輔さんが転校を余儀なくされたのは中学2年になるころ。川崎へ転校しなければならなくなった。元々住んでいたのは横浜。大人になってみれば横浜と川崎なんて電車で10分くらいの距離なのだが、当時の眞木大輔さんにとっては昔から一緒に野球をしてきた友達と離れなければいけないという想いからとても遠いところにいってしまうのだと感じられたという。
そして、引っ越しの話を監督にすると、監督は今まで以上に厳しい練習を眞木大輔さんに課した。眞木大輔さんは当時キャッチャーをやっていたのだが、朝練などで一人呼び出されショートバウンドのような取りにくいボールを(バンバン体に当るような球)をやたらと投げられたという。その時、今まで育ててきたヤツが転校という形で自分の元を離れる(裏切られた?)ということで、眞木大輔さんはその仕打ちを受けているのではと感じたという。なんでこんなに厳しくするのかな?眞木大輔さんはそう感じていたそうです。
もちろん、本人も悔しかったので必死にくらいついていた。そして引っ越し当日、いつものように朝練向かった眞木大輔さん。寂しさを感じながらも練習に励んでいたが、その頃には既に最初取れなかったようなボールも取れるようになっていた。練習が終わると、監督がそばに来て真木大輔さんのグローブにボールを投げ入れる。そしてこう言った。
「これでおまえはどこに行っても大丈夫だ。おまえを外に出しても恥ずかしくないし、これで安心だ。」
実際、離れて行く眞木大輔さんを育てることはチームにとっても正直必要のないこと。だけど、監督の考えは違った。真木大輔さんが外に出てもしっかりと立っていられるように厳しくしてくれたのだった。その時眞木大輔さんは、損得を抜きにして人にここまでしてくれる人がいるんだというのを実感したという。
まとめ
本日の記事はかなり長い記事になってしまいました。個人的に尊敬するところは、一度ハマったことを長い期間極め続けられることです。途中絶対に挫折はあるでしょう。才能がないのではと悩んだ期間もあると思います。しかし、それすらも乗り越えて全てにおいてプロになられている。正直、中学高校で生まれた夢なんて社会で揉まれるうちに消え失せていくことの方が多いのではないでしょうか。もうここまでくると根性論とかそういう話では決してありませんね。好きなことを更に好きになるように。そんな風に考え行動して来たのではないでしょうか?是非見習いたい”兄貴”だとおもいました。
TOEIC講師:石崎力也
PS:一度やると決めたら短期間で結果を出すこと。TOEICでは誰でもそれが可能です。
PS2:MAKIDAIさんは若い頃はお金がなく、クラブに行っても満足にお酒が飲めなかった。なので、テキーラを一杯だけ頼み、飲んだ後すぐに外を全速力で走り、酔いを回らせてから踊っていた。