幼児期の英語教育に隠された罠
本日は芸能人の話に入る前に少し英語に関する記事を書きます。みなさんは英語を身に付けるのに最も適した時期っていつかしっていますか?世間であ「英語は幼少期に身につけさせるのが一番」だと言われています。これはまぁ確かでしょう。「幼児は真似の天才」と言われていますからね。でもここにはいろんな弊害もあります。例えば、英語が堪能な親が子供をバイリンガルに育てようと父が英語、母が日本語なんて育て方をすると、ウマくやらなければ人格形成が遅れる可能性があります。そもそも人は言語を使って思考をしているので、違う言語で同じような思考をすることはかなり難易度が高いのです。海外で育った人が日本に来てあまりの文化の違いに戸惑ったという話はよく聞きます。要はこれと同じことが起こっているのです。何が正しくて何を信じて良いのかも定かではない時期に2つの言語を運用させることには最新の注意が必要です。しかし、幼児期を逃したらその後どんどん英語を身に付けるのが難しくなると言われていますよね。実はこれ半分嘘です。幼児期と同等レベルに語学の習得がベストな時期があります。それは、、、
他言語習得はこの時期がベスト
高校生の時期です。そう、この時期には既に人格形成もほぼなされており、何よりも法則を理解して応用する力があります。そして社会人には考えられないくらいの有り余った時間があります。暗記などの学習力もピーク時ですので、この時期が他言語習得の適齢期と言えます。問題となるのは本人の勉強に対する意志くらいでしょう。強制的に英語を勉強させるのは如何なものかと思いますが、もし本人が言語習得に燃えていた、興味があったならばそのタイミングを逃しては生けません。もちろん幼児期のようにただ真似をして覚えることはできません。ですので、この時期の英語はスポーツ同じだと考えてしっかり基礎と演習を積むことです。そして理想的なのは高校生の時期に留学に行くことです。さて、本日はそんなベストな時期にアメリカの高校・大学に通い、ネイティブ顔負けの英語力を身につけたアーティストを紹介します。アンジェラ・アキさんです。
他言語習得の適齢期を海外で過ごしたアンジェラ・アキ
アンジェラ・アキ(本名:安藝 聖世美 アンジェラ)さんは、日本人の父、イタリア系アメリカ人の母との間に生まれたハーフです。生まれは徳島県板野郡。3歳から6歳までピアノをやっており、中学からは岡山に転居。そして15歳でハワイに渡り、4年生の高校に通います。卒業後はワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学に入学、政治経済学を専攻しました。大学卒業後は、そのままワシントンで就職して歌手を目指すことになり、昼間は秘書、21~24時はバーやライブハウスで歌っていたそうです。しかしそんな二重生活に疑問を感じていたところ、会社の上司に「音楽に賭けてみろ」といわれ会社を止めた。2003年2月に自身の曲がヤクルトのCMソングに採用されたことをキッカケに日本に帰国したようです。かなり長い海外生活ですね。もちろん母国語は日本語ですので普段は皆さんもご存知「徳島弁(阿波弁)」で話します。
アンジェラ・アキの音楽
アンジェラ・アキさんは高校時代にニルヴァーナやグリーン・デイに影響を受けており、またサーフィンにもハマっていたそうです。そして大学1年生の時にサラ・マクラクランの学園祭ライブを見に行った際、スタジアム内の1万人の聴衆がサラと1対1で向かい合っているのを感じ、自らも音楽を通じて人とつながるために生まれてきた事を確信したといいます。その経験がきっかけとなり、本格的に音楽活動を開始。2003年に帰国してからは相当苦労されたようで、年齢(26歳)が足枷となりどこも取り合ってくれなかったようです。そんな中、椎名林檎さんの武道館ライブを見て『自分も3年後の2006年までにこの舞台に立つ』と目標を立て奮起した。実際にアンジェラ・アキさんは3年後の2006年12月26日に武道館ライブを成功させている。ちなみに、アンジェラさん、実はワシントンに住んでいた時に一度結婚されていました。そのお相手とは既に離婚しており、その後2007年に再婚し、今は一児の母です。
イーオンの社長令嬢、アンジェラ・アキ
アンジェラ・アキさんは昔から英語に近い環境に育ちました。というのも、アンジェラ・アキさんの父親である安藝清さんはあの有名な英会話スクール「AEON(イーオン)」の社長ですからね。1973年に徳島で英会話教室「アンビック」が設立され、当時は外国人と会話ができるとかなり好評だったようです。その後改名して岡山県と東京に本社があります。といいつつ、アンジェラさんは留学して英語を身に付けるまで、かなり英語が苦手だったようです。発音も日本語英語で恥ずかしかったという話もありますから、アンジェラ・アキさんは英語を身に付けるのに相当努力されたのだと思います。上の動画でも分かりますが、今ではもうネイティブ顔負けの英語を話しますからね。
アンジェラ・アキのデニムとTシャツとメガネ
アンジェラさんと言えばメガネにデニムにTシャツってイメージですが、メガネのキッカケは妹がかけていたのを見て「可愛い」と思ってからだといいます。デニムに関してはかなりこだわりがあるそうで、ヴィンテージが好きだとか。アルバム『ONE』のジャケットで履いているデニムは60年代のリーバイスらしく45万もするそう。デニムにハマったのは大学時代のようです。そしてTシャツ。基本的にライブは全てTシャツで統一。明るい色がお好きなようです。Tシャルが好きになったのはハワイに住んでいた頃。ハワイでは1年中Tシャツとデニムだったからといいます。Tシャツの着こなしに関してはこれまたかなりのこだわりがあるそう。そしてアンジェラ・アキさんがこれまで訪れた街で居心地が良かった場所としてアメリカのナッシュビルを上げています。ちょうどアルバム「LIFE」の製作の時に訪れていますね。
アンジェラ・アキの妹
アンジェラ・アキさんは妹さんとかなり仲が良いです。「彼女が死んだら私の半分が死ぬ」という程仲がよく、2人で銭湯に出かけることも多々あると。妹さんとは小さい頃から布団を並べて寝ていたようで、大学も一緒だったとか。アンジェラ・アキさんの一番の理解者と本人が言っておりました。親子とも親友ともまた違う姉妹ならではの距離感ってありますよね。僕の友人にもかなり兄弟と仲のいいヤツがいるのですが、兄弟でいる時と友達でいる時に若干キャラが変わったりしてます。
まとめ
あのおしゃべりなキャラクターを見ているととても「強そう」な女性に見えるのですが、本人は自身のことをどうしようもなく弱いとおっしゃってます。歌詞に強い言葉を選ぶのも自分自身に対する想いも込められているようです。恋愛に関しても平気で2,3年片思いをするなど、とても乙女な一面がありました。恋愛でハッキリと言えない分、仕事では思っていることをストレートに伝えているそうです。ストレートな表現が”できるようになった”とおっしゃってましたが、これは正しく英語習得の賜物だと思います。徳島→岡山→ハワイ→ワシントンと東京では味わえない日本らしさを感じながら育ち、海外で生きていく強さを身につけた。そんなアンジェラさんの書く歌詞はやはり多くの人の心に染み渡ります。
TOEIC講師:石崎力也