本物の芸人・劇団ひとり
本日紹介する人は天才と呼ばれた芸人です。とにかく異質な男です。ピン芸人です。芸のクオリティが高いです。劇団ひとりです。。。僕、彼のネタがかなり好きで月に2回はYouTubeで彼のネタを見ています。そんなひとりさんが英語を話せるという情報が入ったので、これは記事を書かなければと今回ピックアップしました。今年6月に公開された『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE』。全編アドリブという状況なのにそのクオリティは常軌を逸していました。下にも書きましたけどとにかく芸のレベルが高い。結婚されてお子さんもできてから、もうゆっくり安定した仕事ができればいいなんて保守的ですが、時期でコロコロとテンションが変わるそうなのでまた爆発するのが楽しみです。あ、ちなみに英語に関しては少し考えさせられる内容となっています。今、本当に英語の勉強が必要ですか?って内容です。
劇団ひとりのプロフィール
劇団ひとり(本名:川島 省吾)は1977年2月2日生まれの現在36歳です。お笑い芸人でありながら、作家、作詞家、俳優としても才能を発揮している。劇団ひとりがお笑いの世界に飛び込んだのは、16歳のとき。芸能活動をしながら夜間学校に通い、20歳で卒業。下積み時代は意外と長い。「お笑い甲子園」で好成績を残した劇団ひとりはそのまま太田プロダクションに所属します。事務所の同期は有吉弘行。当時は『ボキャブラ天国』『進め!電波少年』などが人気のバラエティ番組で、太田プロダクションはU-turnや猿岩石などのグループをメインに売り出していた。また劇団ひとりの遅刻・ドタキャン癖が影響し、ブレイクの機会を逸したまま2000年にコンビを解消しピン芸人になる。その後、数少ないテレビ番組の出演で食いつないでいた。2004年、『めちゃ²イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演以降、メディアでの露出が次第に増える。また一人でいろんなキャラクターになりきるネタを見た映画やドラマの監督陣が俳優として劇団ひとりに目をつける。結果、同年に俳優としても活躍し始める。テレビで活躍し始めると、芸人が本を出版するというブームが到来する。そこで劇団ひとりにも声がかかり2006年1月、小説『陰日向に咲く』で小説家デビュー。小説はミリオンヒットをかまし、2008年には映画化もされている。2009年2月17日、大沢あかねと婚姻届を提出。2010年9月8日、第一子となる女児が誕生。目指す芸人はビートたけしさん。2013年9月に自身の著書『青天の霹靂』の映画化に伴い劇団ひとり本人が監督を務め、無事取り終えた。2014年全国公開予定。
劇団ひとりの昔話
劇団ひとりの両親は元JALに務めており、父は国際線のパイロット、母は客室乗務員を務めていました。祖父も千葉の地主で相当なお金持ちというエリート家庭に生まれた劇団ひとり。当時、欧米便の寄港地だったアンカレッジ(米アラスカ)で小学2年から5年まで過ごした。そんな劇団ひとり曰く、、、
「学校では天才児扱いでしたね。日本では九九を暗記してたのに、向こうの小学2年って、机に載せたビンのフタを数えるような授業。数えて『シックス』って言ったら先生が『グレート!』って(笑い)。算数は飛び級で、5年生のをやってました。子供だから英語も半年でペラペラだったし。『ジャップ』なんてののしるやつもいましたけど、おれも『○ガー!』って応酬してやったので、イーブンです」。
こうした学力のギャップも帰国後は「授業についていけない」という重荷に変わってしまいました。結果、中学受験は失敗。公立の中学に通いました。(恐らく)中学では放送部でそこそこひょうきん者。ラジオの真似事をしたり下校放送で自作のポエムを朗読したという。しかし、自己主張が強すぎて周りからは浮いていたとか。そして高校は千葉県の工業高校へ。工業高校に入学した当初はリーゼントのヤンキーでした。
「工業高校中退して定時制行って。全日生と夜間とは驚くほどギャップがあって、ホントにどんよりしてる。映画『学校』で描かれていたよりもっと陰気でダーク。全日生と登下校で入れ替わる時にはものすごい劣等感ありました。昼間の仕事だって、定時制の16歳にできることはマンホールの掃除とかの単純作業。見てきたものは結構ヘビーですから」。
そう、劇団ひとりは高校を中退し定時制に通うようになりました。しかし暗い過去というわけではありません。16歳の時『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー「お笑い甲子園」に出場、関東地区代表になるまでになった。そしてお笑いの道に進むことになります。
劇団ひとりの英語力
劇団ひとりはご両親の仕事の関係で小学校2年生から5年生まで米国アラスカ州アンカレッジに住んでいました。上の劇団ひとりのコメントを見ても分かる通り、現地では英語をマスターし日常生活は英語を使って生活していたようです。となれば、日本に帰国してからも英語が堪能であるだろうと思われたのですが、実はそう簡単なものではありませんでした。英語は自転車のように一度覚えたら忘れない、というものだったらよかったのですが・・・使わなければ忘れてしまうのが英語。そして劇団ひとりも英語を忘れてしまった一人です。
2005年の『英語でしゃべらナイト』に出演した劇団ひとり。アメリカ人俳優にインタビューするという企画。このインタビューが思いのほか酷かったのです。発音が酷いだけならまだわかる。しかし、まともに英語も出てこないという状況。あのNHKがよくそんな企画を通したなと不思議に思ったほどです。さてここからわかることですが、まず劇団ひとりは自分が英語を話せないなんて考えてもいなかったのではないでしょうか?過去にペラペラ英語を話していた経験があれば誰が苦手意識が生まれましょうか?話し出せば思い出してペラペラ話せるだろう。そんな考えで挑んだのでしょう。しかし、言語というものは記憶と一緒で不必要だと脳が判断すれば忘れていきます。ここでひとつ英語を勉強する際に頭に入れておかなければなりません。飲食店を開くつもりもないのに食品衛生師の資格を取る必要がないのと一緒で、近い未来英語を必要としていないのであれば無理して今英語を勉強する必要はないということです。学習というものは必要性にかられて行うべきものです。正直個人的な意見としては日本人の大半は英語は必要ありません。使わず忘れてしまう英語に時間をかけるくらいなら別のスキルを磨くことに時間をかけたいところです。
劇団ひとり(川島省吾)の天才性
16歳で芸人として事務所に所属した劇団ひとりは最初、大好きなビートたけしの影響を受け過ぎて”たけしの真似っこ漫才”になっていて全然ウケなかった。困り果てていろいろと試行錯誤したが、遂にはライブ直前まで”何をしていいかわからない状況”となってしまい、仕方なくステージの上で中学時代の面白い先輩の真似をしたら爆笑を取ったそうだ。そこからいろいろなキャラクターを生み出していく、今の劇団ひとりのスタイルが確立した。川島省吾を「座長」とし、川島演じる数々のキャラクターを「団員」と呼ぶ。”団員”はそれぞれがクセ者揃いだ。中国から来た校務員チューレン、モテたくて通販グッズに凝る童貞ヤンキー、止まると死ぬホスト、いつも客層がヘンで手品が不発に終わるマジシャン…。生み出した“団員”は100人を超える。
「中国人のチューレンの元になったのは、雀荘の後ろの卓で打ってた人。でも、現実に見た人からキャラクターを作れるような幸運は1年に1回あるかないか。あとは『こんな人いるんじゃねえかな』って理屈と想像で作り出すのがほとんどですね。そもそも恵まれた人が幸せになって笑えるなんて聞いたことない。どこかダメで、落ちこぼれだったりおっちょこちょいだったり、そういう人が何かに巻き込まれてダメな結果を出すのがコントや喜劇の基本設定じゃないですか」。
ミリオンセラーを叩き出した「陰日向に咲く」(幻冬舎)の登場人物もやはり5つの「ひとり世界」を収めた短編集だ。特に、年増アイドルを応援するオタク青年の純愛物語は川島自身の過去から作られている。小学校時代は南野陽子、中学校ではribbonのファンクラブに入っていた川島省吾。最後にファンレターを出したのは女優の小雪さんだという。こういう一癖も二癖もあるキャラクターが考えられるのは明らかに周りとは感覚が違うからである。優等生になったと思えば、環境が変わって逆に劣等生に、そして定時制に通いながら通常では経験しがたいアルバイトをしたり、他人の肛門に指や体温計を挿入するなど若干アブノーマルな性癖があったり…。そうやって作られる劇団ひとりのネタを見て世間は彼を天才と呼ぶ。なんでもできるから天才なのではない。誰もできないことをやっているから天才なのだ。
劇団ひとりの名言
- 女の子は「男は遊び人が多い」と言うけど、その遊び人の男の数だけ、遊び相手の女がいるんだから、どっちも遊び人だ。
- 水と油がコントの基本
- どんなことをやるにしても枷っていうのは、あった方が楽だったりするんですよね
- 40、50になってもできるかもしれないけど、それは、40、50になったときの作品であって、今の状況での作品というのも、少しでも多く残しておきたい。
- 「仮に戦争が起きて、どこかの国が核爆弾を使うとしたら、半ば諦めて使うでしょ。」
- 「何があるかわからないから、歩いて行けばいいんだと思う。」
- 「いつ頃かな、自分が特別だって思わなくなったのは。」
- 「いくら目を逸らそうとしたって埃まみれのテレビの上とか、抜けたチリチリの毛が固まりになって落ちてるユニットバスの端っことかにそういう現実がイヤってほど転がってるんだよ。」
- 「昨日のお昼ご飯は『竜田揚げ弁当』だったのですが、大きな鳥の皮は非常に高カロリーなので外して、お米も半分だけ残しました。そして、その他を食べ終わってから最終的に皮をおかずに残りの米を全て食べました。完食です。」
- 「最初はなるべくそのことから目を背けるんだけど、どうしたって視界の端っこには『普通』とか『平凡』とかって言葉がチラついてくる。普通とか平凡ならまだマシで、その内に『無能』とか『退屈』なんて言葉がチラついてくるから、一生懸命に見えてないフリをするんだ。でもさ、見えてないフリをするには家賃四万八千円のワンルームじゃ狭すぎるんだよ。」
- 「ここからだよ。ここから俺の人生が始まるんだよ。俺の人生を起承転結で言えば、まだ「起」の部分だよ。まったく凄まじい「起」だった。誰か俺の半生を描いたミュージカルでも作ってくれないかね。きっと面白いぞ。やっとプロローグの終わりってところだからな。多分そうに違いないよ。」
まとめ
「だって夢みたいなでっかい目標なんて、一度も叶ったことがないですから。目標っていうのは、どう頑張ればいいかわかることじゃないと、意味がないと思っています。ライブで1位を取るっていう目標を立てたら、そのために面白いネタを作ろうと思って、ネタを考えるのにも気持ちが入る。目標は半年か、長くて1年先までしか立てられません。特に芸能界みたいなところにいると、1年後にどうなっているかもわからないし」
とてもリアリストな劇団ひとり。具体的かつ現実的な目標を立てるほうがやるべきことが明確に見えてくる。そしてそのために必要な”今”の重要性再確認できる。そう語る劇団ひとりは目標を掲げるとまず、気持ちから整えるのではなく、集中できる環境を整えるという。「余計なものが何もない空間で考えるのは、やっぱり一番効率がいい。やらざるを得ない環境に自分を持っていくのが、性に合っているみたいです」。家族ができて明らかに今までになかった種類の責任を感じているという。男にできることはやはり仕事なのだろうと30も半ばにきて気付いたそうです。そんな劇団ひとりの今後をあえて聞いてみたというインタビューがあったので引用して終わります。
「僕はビートたけしさんみたいになりたくて、この世界に入ったんです。たけしさんには到底なれないけど、やっぱりなりたいっていう思いもいまだにある。自分が50歳になったときに何をしているかは、さっぱり想像がつきません。だけどその年になって過去を振り返ったときに、“自分はこれ”ってはっきり言えるものがほしいと思っています。昨年久しぶりに単独ライブをやったのですが、年に1回でもいいからやり続けたいですね。テレビの仕事は、こっちにいくらやる気があっても声をかけられなければ出て行けないし、その機会を延々と待っていなければいけない。だからたとえ規模が小さくても、劇場を借りてチケットを売ってネタをやるっていう、自分の力でどうにかなることをずっと続けていかなければいけないと思っています」
TOEIC講師:石崎力也
PS:語学学習にはセンスも必要でしょう。しかし、TOEICハイスコアを取得するのに必要なのは努力だけです。TOEICに必要な努力とは?
PS2:テノール歌手のポール・ポッツさんに感銘を受け、33歳の頃からオペラの教室に通っているらしいです。
PS3:結婚前はロボット犬アイボのララちゃんと同居し、朝はカーテンを開けて盆栽に話しかけていたそうです。親友はいません。